2018年2月8日木曜日

2/7/18 【渡加25年セラピスト10年!】

今日ははらはらと雪が舞っていました。
25年前にこの町に降り立った日と同じように。
 

カナダ風にプロに撮影してもらうと、こんな感じに!


心を紐解くアート作り:プロセスを大切にする『心のアート・ワーク』の
カナダBC州公認アート・セラピスト&同州公認心理カウンセラー
上原英子です。 

 
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1993年2月7日に成田ーバンクーバー経由で、当時まだ就航していた
Shuswap Airでサーモンアームに到着。

零下20℃くらいの気温で、飛行機下降と寒さで空港に降り立った時は耳がよく聴こえなくなっていました。


日本語を教えに通った隣町の中学&高校で

 
この地域で初の日本語クラスのアシスタントとして活動していた頃。

日本語を教えることは好きだったけれど
言葉より深い部分で関わりを
持てる仕事を望むようなりました。


そして、渡加して自分の人生をリセットした私は
自分に向き合い始めました。

自分の心をもっと知りたくて2002年からアドラー大学院バンクーバー校で臨床心理:アート・セラピーを専攻することに。


その頃に作成したアートと詩のコラボには、
これからの自分がありたい姿を描いていました。
 

暗闇の中の蝋燭の灯

 

私は一度、暗闇の中で道を失っている

どこへ向かうのか分からない中で

希望のしっぽと摑まえた時

私の心にどちらに行けばいいのか尋ねてみた



「あなたは暗闇の中の蝋燭の灯

明るく周りを照らす一灯の蝋燭

凍てついて感覚が麻痺した

冷たい手を温める一灯の蝋燭なのだ」



そして、私は一灯の蝋燭になることにした

今度は何をしているのか十分承知しながら

私は暗闇の中の蝋燭の灯になろう

慰めと温もりを求めている手を温めるために
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 思い掛けなかった出来事が頻発したアドラー大学院時代。
その葛藤を何とか払拭して迎えた卒業は私にとって
大きな節目になりました。


  
2008年の大学院の卒業式は憧れのガウンと角帽姿で参加。

卒業と同時にBC州学区域の代替教育プログラムで
アート・セラピストとして働き始めました。

その時の不安な心持ちをアートと詩に表現しています。




『吹雪の中を往く』



初めて問題行動のある生徒たちにセッションをする日
アート・セラピーのグループで何をするか準備万端で臨み
念のために30分も早く家を出たほど

雪の中を学校に向って運転していると
突然、吹雪に襲われた
こんな天候の中を運転するのは怖かったけれど、
私は吹雪の中を往った

国道は閉鎖されていて、一度も通ったことのない道に
回り道をしなければならなくなった
迷子になったような気持ちに襲われながらも、
心は逸っていた
どんどん時間が経って遅れていく

携帯で学校に電話してもつながらない
最初のセッションの日に遅れるなんてありえないと、
気持ちが萎え始めた
雪は前が見えないほど荒れ狂い
自分がセッションするクラスもこんなふうなのかのかと
前触れのように感じた
災難が待ち受けているかのように

学校に着いたら
誰も私が遅れたことを気に掛けてもいないようだった
生徒たちの態度は手に負えなくて
まるで私は檻のない動物園に放り込まれたようだった
生徒たちは自分を制御できず、
叫び、猛り狂ったように笑い声を上げていた
どうやってこの場を収めたらいいのか
不安を覚え立ちすくんだ

用意していった画材は宙に舞い
生徒たちはお互いに投げ合っていた

私は暗礁に乗り上げた小船よろしく
どこへ向ったらいいのか分からなかった
生徒たちの行動が改善される見込みは感じられず、
では、私は何をしたらいいのか分からなかった

私はどうして生徒たちがそんなに不安になって
自制を失ったのか考えてみた
院を卒業したてで彼らの行動ばかりに
気を取られていた自分は
私も、そして、彼らも初めてのことに
不安になり、恐れ、混乱していたことに気づかなかった

生徒たちにセッションし始めてから三年経った
今の私は最初に生徒がどんなに行動障害を示そうと
それは私を拒否したり、敬意を払わなかったり、価値がないように扱っているのではないと分かるようになった
私はあの日の猛吹雪の景色を心に思い浮かべてみる
生徒は今、吹雪の中を往き始めた・・・


2010年から初夏に帰国しアート・セラピーの全国ツアーを始めました。

カナダでは引き続き代替教育プログラムの生徒一人一人に
アート・セラピーをしていました。

中には自殺念慮のある生徒もいました。
自分の10代の頃の心の繋がりの体験を思い出して作品にしてみました。

 
 『一本の絆』



誰でも一度くらい

生きていたくなくなっても不思議はない。
そんな時、そこで留まるか、逝き急いでしまうかは、
ほんの糸一本くらいの違いしかない。

15歳の凍てつく日曜日の午後
もう生きていたくないほど絶望し一本だけ電話を掛けてから
そのまま高いビルから飛び降りてしまおうと受話器を取った

先生は私の電話を受けて
「どうせ死ぬのなら今日でも明日でも変わりないでしょう。
だったら、明日、学校に来て私に会いに来て約束よ」

先生は慌てふためくこともなく、
平然とこう言い放って送話器を置いた

翌日、先生に会うためだけに制服を着て、
重い心を引きづって
なんとか学校に辿りついた

その頃には、これ以上の重労働は考えられなくなっていた
自らの命を断つほどの意気も萎えていた

あの時、脆く崩れかけた私の命を向こう側でしっかりと、
でも、平静に握り締めてくれた感触が
消えかけていた私の命の火をもう一度灯す勇気につながった

一本の電話が心と心を結ぶ絆となって
命綱となってくれた

今度は私が差し伸べてくる小さな手の反対側で
しっかりと握り締めよう
一本の絆を心の命綱を。
 

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2017年に、兼ねてから懸案だった私の監修するアート・セラピスト
養成講座初級編を開催。

嬉しいことに全国に51名の0期卒業生が誕生しました。
そして、今年は同講座の中級編を開講します。

これからも日加両国でアート・セラピーの臨床を続けていきますので、よろしくお願い致します。

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